実用的な礼儀決定版

お祝いの席で披露される「祝電」の慣習は、日本独特のものですね。最近出席したマレーシアの中国系の家庭での結婚式は、少し日本の結婚式に似ていましたが、「祝電」披露のようなものはありませんでした。インターネットや、携帯電話が普及した現在でも「祝電」がもてはやされる背景には、多分に日本の文化が反映されているように思えます。昔は、結婚式に出られない遠くの人が電報という形式でお祝いのメッセージを送ったのでしょうね。

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当時は電報の費用も安くはなかったでしょうから、その価値は非常に大きかったと思います。今でも自分のお祝いの席で、思いがけずに古い知り合いから「祝電」をもらったら、別の意味で素直に感動してしまいます。懐かしさ、何時までも気にかけていただいていたという感謝、相手方が元気でいることの証・・・思わず自筆の手紙の文面のように何度も読んでしまいますね。現在の「祝電」が持つ大きな価値の一つは、こういった一種のサプライズ的なものにあるように感じられます。多分、予想される人からの形式的な「祝電」であったら、「祝電」という慣習はとっくに廃れてしまっていたのではないでしょうか?今でも、祝いの席で良くある著名人からの「祝電」の披露は、また別の価値、すなわちその人の社会的ステータスの誇示という意味があるのでしょうね。日本人は形式を重んじる国民ですから、この「祝電」という形式はいまや伝統になり、習慣化していますね。でも、祝い事、例えば典型的には結婚式ですが、結婚式のスタイルも徐々に変化し、形式にこだわらなくなりつつありますから、いずれは「祝電」の慣習はインターネットメールや、携帯電話での会話、メールに取って代わっていくのだろうなと想像します。ただ、電報の方も時代と共に進化して、インターネットメールと同じように使いやすくなっているので、「祝電」のもっている価値が損なわれなければ、生き残るかもしれません。ただ確実に言えることは、デジタル社会に取り残された世代にとっては、まだ「祝電」の持つ価値は大きいし、この世代が生きている限りは続くだろうということです。

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