とり過ぎのために何種類ものクジラの個体数が減少し、ついに国際的な取り決めで禁止となった捕鯨。ぎりぎりまで捕鯨を行っていた日本人は、他の国々から非難を浴びたものだ。だが、世界的に捕鯨が行われなくなった現代でさえ、例外として捕鯨を許されるべきだと考えられている人々がいる。シベリアの一部、アラスカ、カナダ、グリーンランドなど、極北の地に生きるイヌイットたち。かつてエスキモーと呼ばれていた人々である。早くから捕鯨禁止を叫んでいた人々のなかからさえ、イヌイットたちは例外という声が上がっていた。どうしてイヌイットたちは、捕鯨が許されるのだろうか?その理由は、イヌイットたちの捕鯨が「生存捕鯨」だからだとされている。日本やノルウェーなどが行っていた捕鯨は、商業目的の「商業捕鯨」だが、イヌイットたちの捕鯨は、生存のための「生存捕鯨」だからというのである。「商業捕鯨といっても、最終的には食べるのだから、生存捕鯨と変わらんじゃないか」そう思う人も多いかもしれない。それに、イヌイットたちだって、獲ったクジラを自分たちで食べるだけでなく、周辺の人々との小規模な物々交換や売買に用いる。それなのにどうして、イヌイットの捕鯨だけが「生存捕鯨」なのだろうか?沿岸域に住むイヌイットたちにとって、クジラは、なくてはならない食糧である。ことに、アラスカの沿岸域のイヌイットたちは、春にベーリング海を北上するホッキョククジラが、重要な捕鯨の対象で、ウミアックと呼ばれる皮製のカヌーに八人の男が乗り込み、離れモリを何本も打ち込んでとるという方法が用いられてきた。とったクジラは、肉や内臓や脂肪は食糧、脂肪からとれる鯨油は灯火、骨は家屋の骨組みやモリ先など、さまざまな道具として、くまなく利用されてきた。さらにホッキョククジラやコククジラといったヒゲクジラのヒゲは、ヒモや釣り糸など、多くのものに加工された。捕鯨はイヌイットたちの生活や文化に密着し、イヌイットたちは、クジラがとれれば感謝をし、クジラをとることによって、クジラと共存してきた。そういったことから、イヌイットの捕鯨は「生存捕鯨」として許されると考えられているのである。
海外旅行に行くと、世界中どこにでもカジノがある。むやみにギャンブルで散財するのも考えモノだが、適度な遊びは大人の楽しみだ。そこでラスベガスを例にとって、主なカジノでの遊び方をまとめておこう。カジノでの遊び方はまったく難しくない。まず覚えておくのは、次の事柄だ。・席に座るのはプレイヤーだけ。・見物する側は必ず立つ。・ディーラーの背後(ピット内)は立入禁止。・日本人は若く見られるので、必ずパスポート持参。・カジノ内は客のプライバシーを守るため撮影禁止。・服装はカジュアルでいいが、高級カジノではあまりラフなファッションは似合わない。そんなことを覚えつつ、まず席に座る。ゲームでは各カジノ専用のチップを使うので、現金(米ドル紙幣)をテーブルに出し、「チェンジ・プリーズ」と言って両替してもらう。それから、さあギャンブル開始だ。初心者で運のみに頼るなら、「スロットマシン」がいい。配当が各マシンに表示され、誰にでも億万長者の夢が見られる、単純だが飽きないゲームだ。
仙台の名は千体仏が祀られていたことに由来するが、慶長年間になって伊達政宗が築城を始めた。本丸は海抜一一五メートルというかなり高い山の上に築かれ、天守台も設けられたが天守閣が建築されることはなかった。大手門は朝鮮遠征のために築城された肥前名護屋城から移したもので、空襲で焼失したが、全国的に見ても戦争で失われたもっとも惜しまれる文化財の一つ。また、この城は青葉城と称され、さとう宗幸の「青葉城恋歌」でしられるようになった。ただし、青葉城も広瀬川も歌ほどには風情があるわけではない。見事なのは定禅寺通りのケヤキ並木で「杜の都」という名にふさわしい。東北大学はKS磁石鋼を発明した本多光太郎の伝統もあり冶金などの分野を得意としていたが、最近では西洋潤一によって電子技術での名声が上がるとともに、学長としての活躍で地域の産業との連携を進めた。